王 琳 段克勤
(北京林業(yè)大學(xué) 外語學(xué)院,中國 北京 100083)
授業(yè)で仮名草子について勉強(qiáng)したことがあって、いくつの作品の勉強(qiáng)を通して、中國の通俗小説と似ているところがあることに気づいて、実際に、どんなところが同じか、どんなところに違うか、筆者は非常に興味を持ってきた。従って、本論文で中日両國からの二つの文學(xué)分類の相違點(diǎn)を追求したい。仮名草子である「竹斎」と中國晩清時代の通俗小説である「老殘遊記」から比べに行きたい。
もちろん、一番目の理由は「竹斎」が仮名草子で、「老殘遊記」が中國の通俗小説である。もう一つの理由は主人公が二人とも昔の醫(yī)者である。つまり、醫(yī)者という視角は同じである。
仮名草子とは、江戸時代初期に仮名、もしくは仮名交じり文で書かれた、近世文學(xué)における物語·実用的な文章を総稱したもの。
中國の通俗小説は小説の中で大きな種類で、社會に最も広い読者層にわたって、一般的な人でも読める、楽しめる文學(xué)作品である。大衆(zhòng)文學(xué)とも言う。
以上から仮名草子にしても中國通俗小説にしても最も広い読者に向ける大衆(zhòng)文學(xué)に屬していることが分かるようになった。
しかし、仮名草子は近世文學(xué)における物語·実用的な文章の総稱に対して、中國の通俗小説は初めの通俗小説である「三國志」以來の一般の民衆(zhòng)に読められる小説の総稱である。つまり、仮名草子は時代のものであり、文學(xué)形式とは関係なく、近世の小説·隨筆の総稱である。中國の通俗小説は文學(xué)形式によっての分類であり、時代と関係なく。こういったら、全然違う分類方が分かるようになった。何で中國で仮名草子のような文學(xué)分類がないだろうかというと、そのなか一つ大きな理由は中國では昔からずっと漢字だけの表示で、日本のように漢字と仮名交じり文はないからである。
「竹斎」は藪醫(yī)竹斎を主人公にした遍歴體の小説で作者の世相観察と竹斎の馬鹿げた醫(yī)療を施す部分、そして名所案內(nèi)の部分がうまく絡(luò)み合った構(gòu)成となっている。當(dāng)時の滑稽文學(xué)の常套手段として狂歌を隨所に挿入している。
「老殘遊記」では老殘と號する男の旅行記の小説で官界の內(nèi)幕を描いているが,清廉な官吏にも亡國の危険がひそむと指摘するほか,黃河治水に関する作者の経験,夢幻的なエピソード,殺人事件などが雑然と書かれている。すぐれた敘景的文體が,小説らしからぬ構(gòu)成を救い,清末小説の傑作の一つにしている。
以上のあらすじから見ると、二つの作品は遍歴體あるいは旅行記という形で書かれるのが同じであることが分かるようになった。
しかし、竹斎は日本全國の遍歴で、老殘は山東省に限られた。しかも、「竹斎」には竹斎とにらみの助のコンビがあるのに対して、「老殘遊記」は老殘の一人旅行である。竹斎とにらみの助のコンビは、能狂言のシテ(主)と太郎冠者のようなもので、にらみの助は忠実な家來であるとともに、時には助言者として、時には引き立て役として、創(chuàng)造されたものであろう。竹斎の滑稽を効果あらしめるために、何がしかの貢獻(xiàn)をしていることは認(rèn)めてよい。それに対して、「老殘遊記」は元々譴責(zé)小説で、旅行途中で聞いた人々の話を主人公という線で結(jié)んで、清の時代の政治の混亂と官吏の殘酷などを指摘した。「老殘遊記」の作者である劉鶚は主人公の口を借りて當(dāng)時の社會への不満を訴えたかった。しかし、劉鶚はあくまでも一人の作者で、相手は當(dāng)時の社會で、つまり一対萬の戦いであった。この背景では、一の方は力が小さければ小さいほど、戦う勇気が表される。従って、「老殘遊記」にはコンビがいらない。むしろ、老殘の一人の旅というより、一人の戦いであった。
また、竹斎はやぶ醫(yī)者であるに対して、老殘は腕が高い漢方醫(yī)である。同じく醫(yī)者に設(shè)定されても、もちろん富山道冶が主人公竹斎の自嘲でもあり、滑稽を強(qiáng)調(diào)するため、わざとやぶ醫(yī)者に設(shè)定したであろう。それに対して、劉鶚が當(dāng)時暗い社會の対象である老殘の優(yōu)れを強(qiáng)調(diào)するため、わざと醫(yī)術(shù)の高い漢方醫(yī)に設(shè)定したであろう。
醫(yī)者のはやりはやらぬは、醫(yī)療の上手下手というよりも、むしろ宣伝の上手下手にあるという世間なのだが、竹斎のごときは醫(yī)者の看板である十徳さえもっていなかったようだから、流行らなかったとしても不思議ではない、都落ちはその當(dāng)然の成り行きである。しかし、竹斎があえて都落ちを決意したのは、そうした世間の風(fēng)潮を潔しとしなかった竹斎の然らしめるところではなかったであろうか。というのは、竹斎は「論語」の本文を引いている?!纲tきより賢からんは、色を易えよ」、竹斎は賢人とは世間で名醫(yī)·大醫(yī)ともてはやされている流行醫(yī)者と解する。その賢人よりも自分が一段上の人間であろうとするならば、色即ちやり方を変えなければならない。門戸を大きく構(gòu)え、十徳を著こなし、乗り物で往來する醫(yī)者が名醫(yī)と尊崇される王城の地をあえて見捨てて田舎に下ろうとする、これが破れ紙頭巾で、しかも自ら「天下一の藪薬師」をもって任じた竹斎の真骨頂である。藪醫(yī)者竹斎のキャラクターも、以後の種々の藪醫(yī)者物の嚆矢となった。また、東海道中名所記の出現(xiàn)に影響を與えている。世相については、好色僧侶批判や見かけばかりで実力の當(dāng)てにならぬ醫(yī)師の氾濫など、當(dāng)時の世相に対する批判も垣間見える。
その一方、「老殘遊記」は老殘の遊歴見聞を借りて、當(dāng)時吏治暗痛めつけ、お金がいらない清廉な官吏は実は急昇進(jìn)を目指し、功績を上げるために、民を殺すまでもできる殘酷な官吏である。こんな清廉な官吏は腐敗の官吏より倍以上恐ろしい。それは腐敗の官吏の悪さはみんな知っているが、清廉ながらも殘酷な官吏の悪さ誰も詳しく知らないからである。このように、當(dāng)時の官吏または當(dāng)時の政府に頼ることができないことを明らかにした。劉鶚は封建末期にいる人々の苦しみを同情して、國家と民族のこれからの運(yùn)命に気になってきた。老殘は劉鶚の化身で、旅をしながら、人の病気を治せるように頑張った。當(dāng)時の山東省を舞臺として、清の末期のごろ、全中國の混亂また官吏の想像もできならぬ殘酷を訴えた。過去多くの文學(xué)作品はほとんど官吏の腐敗や汚職などを指摘したが、「老殘遊記」は清廉ながらも殘酷な官吏を批判した。これは非常に珍しいことである。清廉な官吏の悪さへの指摘は劉鶚の「老殘遊記」からスタートだともいえる。
「竹斎」の反俗性と「老殘遊記」の批判性から見ると、著眼點(diǎn)が違うことは明らかになった?!钢駭取工弦姢堡肖辘菍g力の當(dāng)てにならぬ醫(yī)師の氾濫などの世相に対して批判した。それに対して、「老殘遊記」は當(dāng)時の封建社會の體制または社會自體に対して批判した。「竹斎」のような滑稽小説には反俗性があるが、あくまでも娯楽性を重視して、批判はそんなに厳しくない、深くない。読者の興味に合わせるためもあるかもしれない。しかし、中國の小説は、通俗小説でも、娯楽より批判性を重視する。特に、ある地方を舞臺にして、ある人物をモデルにして、全社會の実態(tài)を指摘するという書き方よく見られる。つまり、小さいことで大きな問題を反射するのが好まれる。
「竹斎」は滑稽小説で、ばかばかしいことを書くことによって、小説全體の雰囲気が楽しい。案內(nèi)名所もあるので、読んだうちに、自分が主人公と一緒に旅に出たように勘違ってしまった。一般の人にとって、非常に読みやすい作品である。しかし、それに対して、「老殘遊記」が通俗小説に屬しても、滑稽な要素一切もないので、重い話題で一般の人にとって、読みづらいところもあると思われる。もちろん、名所見學(xué)の部分には面白い描きもたくさんある。特に、景色の描寫や人の心理活動、雰囲気の盛り上げなどの描き方は本當(dāng)に優(yōu)れて、右に出る人もいないと胡適(中國のとても有名な學(xué)者)に褒められた。
本論文では、「竹斎」と「老殘遊記」內(nèi)容や、反俗性と批判性、作品の雰囲気などの方面から「竹斎」と「老殘遊記」の相違點(diǎn)明らかにした。そこから、日本の仮名草子と中國の通俗小説の二つの文學(xué)分類の共通點(diǎn)または全然違うところも比較できた。しかし、仮名草子でも中國の通俗小説でも、範(fàn)囲が広くて、二つの作品だけの比較によって、まだまだ不十分であると思われる。今後、今度の論文をもとにして、もっと深い研究に行きたいと思われる。
[1]市古貞次,野間光辰.鑑賞 日本古典文學(xué)(第26巻).御伽草子·仮名草子[M].角川書店.
[2]渡辺守邦,渡辺憲司.新日本古典文學(xué)大系∶仮名草子集[M].巖波書店.
[3]劉鶚.「老殘遊記」新バージョン[M].江蘇少年児童出版社.
[4]袁行霈,羅宗強(qiáng).中國文學(xué)史(第二卷)[M].2版.高等教育出版社.