白春雨
『雨月物語』は日本の「読本」の代表作家である上田秋成の傑作である。その中で唯一の中編小説である『蛇性の淫』は明の馮夢(mèng)龍が著した『警世通言』第二十八巻の『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』を翻案した文學(xué)作品である。本論文は二つの作品における蛇女のイメージの対比を通して、性格の共通點(diǎn)と相違點(diǎn)をまとめ、その違いの原因を分析することによって、江戸時(shí)代において明清小説の大量の伝來が上田秋成の創(chuàng)作に影響を及ぼすことを検討しようとする。
キーワード 蛇性の淫;白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔;イメージ;対比
はじめに
背景の違いによって、人類の文化は発展の過程で、違うグループには異なった文化の準(zhǔn)則を持っている。文學(xué)作品は個(gè)人の創(chuàng)作であるが、所屬団體の精神面における特徴を表している。それとともに、一つの民族が當(dāng)民族の文學(xué)、文化を発展させる時(shí)、避けられずにほかの民族の文學(xué)、文化の衝突と影響を受けるに違いない。
しかし、文學(xué)作品の創(chuàng)作のうちに、自國(guó)の環(huán)境、文化など固有の要素の制約から脫するのは本當(dāng)に難しい。『蛇性の淫』はストーリー上、言語表現(xiàn)上など色々な面で『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』と非常に似ているが、同時(shí)に日本の古典文學(xué)『源氏物語』の「夕顔」「葵」などの影響も受け、『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』を翻案する基礎(chǔ)の上に日本の文化の特色をも溶け込んだ。それによって二つの作品は最終的に文學(xué)性とテーマにおいての違いが現(xiàn)れた。
第1章 先行研究
現(xiàn)在に至るまでには、『蛇性の淫』と『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』の比較について、日本であっても、中國(guó)であっても多くの研究を行った。本稿はこれらの研究を參照しながら、蛇女のイメージの比較を展開する。
1.1常凌雯の研究
常凌雯の「《蛇性之淫》與《白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔》的男主人公形象比較分析」 は似ているあるいは同じストーリーの中での男主人公像の異同を具體的かつ詳細(xì)に分析して比較し、それに、中國(guó)の白話小説が日本に伝わって徐々に日本化されていく過程を検証する。本論文の創(chuàng)作に方向性を提供した。
1.2桑鳳平の研究
桑鳳平の「試論中日古典怪誕小說的“同途殊歸”——《蛇性之淫》與《白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔》人物形象對(duì)比分析」 は主に二つの作品の中での人物像に対する対照的な分析を通じて、日本文學(xué)の中國(guó)文學(xué)に対する吸収と、本民族の伝統(tǒng)的な文學(xué)、文化に対する吸収と継承を検討する。
1.3劉穎潔の研究
劉穎潔は「從人蛇戀透視中日文化心態(tài)——《蛇性之淫》與《白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔》之比較」 で、『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』と『蛇性の淫』という人と蛇の戀を題材とする作品の中で最も典型的な二つの作品の対比を通じて、異なる民族の文化的心理や各民族に沈殿している文化因子を検討する。
第2章 イメージの共通點(diǎn)と原因
『蛇性の淫』は『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』の翻案作として、人物像に似ているところが數(shù)え切れないほど多いである。ここは一つ一つ列挙しなくて、重要な部分だけ述べている。
2.1共通點(diǎn)
2.1.1美人であること
真女子であれ、白娘子であれ、彼女たちは美しい姿で男主人公を深く惹きつける。
『蛇性の淫』において、このように書いた。
「年は二十にたらぬ女の、顔容髪のかかりいと艶ひやかに、遠(yuǎn)山ずりの色よき衣著て、了鬟の十四五ばかりなるの清げなるに、包みし物もたせ、しとどに濡れてわびしげなるが」
豊雄はそうな上品な様子を見て、內(nèi)心でずっと真女子の美しさに感慨している。許宣も同じようで、別れても白娘子の美しさを忘れることができなくて、夜になっても、なかなか寢付くこともできない。
2.1.2幸せと純粋な愛への絶えない追求
真女子と白娘子は自分の愛する人と一緒に暮らすために、一生懸命に頑張った。彼女たちは正體が蛇妖怪であるため、美人を裝って幸福と純粋な愛を追求する。蛇にもかかわらず、幸せと愛情を追求する権利もある。
白娘子は積極的に自由な愛情を追求して、しかも勇敢に彼女の愛情を破壊する勢(shì)力と闘っている。彼女は二回の官庁の追撃を逃れ、許宣が彼女のために訴えられて非難を浴びる時(shí)、彼女は愛で夫婦の矛盾を解消した。道士は彼女が大蛇であり、魔除けで彼女を鎮(zhèn)圧すると許宣に勧めるとき、彼女は方術(shù)で返撃した。
真女子も同じ執(zhí)著心で豊雄を愛していた。真女子は貴重なものを盜んで、自分に大切な人に與えたが、かえって愛する人の疑いを招いた。彼女は愛する人と続けて暮らしていくために様々な口実を設(shè)けて自分の行為を弁解した。最後に豊雄は袈裟を懐中に忍ばせて彼女を捉えようとしていたが、彼女と一緒に遠(yuǎn)くへ行くと欺くとき、真女子は彼の話を信じて喜んでいた。これらの細(xì)部はすべて彼女の豊雄への愛の誠(chéng)実さと純情さを現(xiàn)している。彼女はいつも人間の世界における女性のように豊雄の愛情を得たいと思っているが、これだけ頑張ったのに、短い幸せな生活を送った。
2.1.3結(jié)末
妖怪である事実が相手に知られたあと、相手に裏切られて、最終的に真女子と白娘子はだれも良い結(jié)末を得られなかった?!荷咝预我护摔い?、最後の結(jié)果は「蘭若に帰り給ひて、堂の前を深く掘らせて鉢のままに埋めさせ、永劫があひだ世に出づることを戒しめ給ふ」である。白娘子も鉢のまま雷峰塔の下に埋められた。
2.2原因
2.2.1美人である原因
馮夢(mèng)龍が『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』を著した目的は文の終わりの詩に次のように書いていた?!干词强湛占词巧?,空空色色要分明。」 彼はラブストーリーを述べることを通して、人々にエロイズムを戒めるように助言する。古代の中國(guó)に於いては、「美人は災(zāi)いのもとである」という観念はほぼ一定の考え方になっている。封建社會(huì)に於いて、女性は地位が低く、男性の肯定的なイメージを保つために「君子」の反対側(cè)と表現(xiàn)されることが多い。そのために、伝説やオタクに於ける男性の主人公は、しばしば目隠しされている犠牲者であり、女の美しさを楽しんだ後に正義の名の下に彼女たちを滅ぼす。
真女子を代表とする蛇女のイメージは、日本の多くの「魔女」のイメージの一つである?!改工吓预藢潳工肴毡救摔窝}雑な考え方を反映している。彼らは、生き殘るという現(xiàn)実的需要のために、「女性崇拝」の観念を持っている。同時(shí)に、獨(dú)特な自然環(huán)境により、女性の美しさも含めて、世界中のものの美しさが鋭敏に感じられる。このようにして作成された女性のイメージは、非常に高貴で、美しく、純粋である。
2.2.2愛情と幸せを追求する原因
馮夢(mèng)龍が生きた明の中·後期には、中國(guó)に資本主義が芽生えていた。人々の自意識(shí)も発達(dá)してきた。「感情」への追求と、封建的禮法との激しい衝突がこの時(shí)期の社會(huì)的特徴となった。彼のペンの下で、白娘子が積極的に愛情を追求する、真心を固く守って変えない、邪魔に直面し、勇敢に闘うことは彼女のイメージに獨(dú)特な輝きを持たせた。
真女子は、封建社會(huì)の倫理観と道徳観を破り、自由に愛を追求しようとする白娘子と同じである。女性主人公を形作る過程で、上田秋成はロマンチックな理想を置いた。彼は現(xiàn)実には純粋な人間の感情を追求し、現(xiàn)実には見つからないとしても、人間の真心に理想を置こうとしている。
2.2.3結(jié)末が同じである原因
奈良時(shí)代から、日本は中國(guó)から律令制度を?qū)毪肥激?、江戸時(shí)代まで、封建家長(zhǎng)制度が最終的に形成された。女性は社會(huì)的地位が低く、體の意味がその人格より大きい。このような背景のしたで、女性の生活は悲慘であり、しばしば放棄された悲劇的な狀況にある。真女子の結(jié)末そのものは、現(xiàn)実生活において女性の地位が低いことを真実に反映したものである。
中國(guó)の明代では、人々の自意識(shí)が目覚めたが、男性優(yōu)位の封建社會(huì)において、白娘子の愛は依然として禁止された。彼女の愛情に対する執(zhí)著は封建社會(huì)の倫理観に背いて、その時(shí)に女性を縛った婦人が守るべき道から逸脫した。雷鋒塔は、愛の自由を殺す封建的な圧迫の象徴である。それは封建家長(zhǎng)制度による女性の崩壊を強(qiáng)調(diào)している。
第3章 イメージの相違點(diǎn)と原因
真女子と白娘子のイメージは、異なる文化背景の下で作成されているため、二つの蛇女のイメージに異なる部分があるはずである。
3.1相違點(diǎn)―反抗の手段
真女子と白娘子が反抗する前に、ストーリーと內(nèi)容はほぼ同じであるが、その後、キャラクターの作成が変わり始った。自分が正しいと思って行動(dòng)するが、世界から許されないとき、戀人に無慈悲に放棄されたとき、二人は異なる抵抗の方法を持っている。
『蛇性の淫』において、豊雄が自分を捨てて、富子と結(jié)婚する準(zhǔn)備をしていることを知ると、真女子が二人が結(jié)婚する夜に富子に変身し、そして、「他し人のいふことをまことしくおぼして、強(qiáng)ちに遠(yuǎn)ざけ給はんには、恨み報(bào)いなん。紀(jì)路の山々さばかり高くとも、君が血をもて峰より谷に潅ぎくださん」 と豊雄を脅した。真女子は、豊雄がやったことと世間の人がしていたことを、黙って受け入れるのではなく、堂々と自分の恨みを発散させ、報(bào)復(fù)を行った。
対照的に、許宣が偶然に白娘子が蛇女であることを発見したあと、白娘子を捉えるために戴先生を連れて行ったが、戴先生は白娘子を捕らえずに脫出した。許宣がこのようなことをしているため、白娘子は自分と許宣の愛を守るために杭州一城の人の命で許宣を脅かす。その後、白娘子が再び許宣と出會(huì)うとき、彼女は前の不愉快なことを忘れて優(yōu)しい女性に戻った。彼女は以前と同じくらい許宣をよく扱ったが、許宣が禪師がくれた鉢で自分を捕らえるとは決して考えなかった。それにしても、彼女は最後まで許宣との夫婦のよしみを大切にしている。
3.2その原因
真女子の兇悪さと欲望、白娘子のしなやかさと真心とのコントラストは、同じモチーフの中で日中の物語の発展の違いを強(qiáng)調(diào)している。この違いの形成を検討するには、まず目を「富子」に置く必要がある。
この翻案小説の中で、最も注目されている相違點(diǎn)は、上田秋成が付け加えた「富子」のイメージである。富子は知識(shí)があり禮儀もわきまえている、動(dòng)作がゆったりしているやさしくておとなしい少女である。彼女を肯定的な女神と考えることができる。しかし、結(jié)婚式の夜、真女子は富子の體にとりつき、再び夫婦の誓いを捨てると、彼の血を山頂から谷底まで流すと豊雄を脅かす。富子は、この人と蛇の戀の最初の犠牲者となったことに注意する必要がある。いわば豊雄の移り変わりによって真女子が富子に身を付け、間接的に彼女の死を招いた。
これは『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』にないストーリーである。上田秋成は明らかに『源氏物語』の中で六條御息所が源氏の浮気を恨み、魂が肉體を離れて源氏に喜ばれた女に乗り移って殺すというエピソードを吸収した。また『道成寺縁起』の中で女性が求愛失敗で大蛇に化身して復(fù)讐し、戀人を灰燼に焼くという要素を融合させ、真女子に乗り移られた「富子」を作り出した。富子の出現(xiàn)は、間違いなく『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』の中で白娘子が許宣に対する求められない悲戀を、自分の癡情を裏切った男に対する復(fù)讐に変えさせた。
第4章 背後にある文化的要素
文學(xué)は現(xiàn)実を反映している。文學(xué)作品は、文化的背景や社會(huì)的背景から獨(dú)立して存在することはできない。上田秋成が作成した『蛇性の淫』は中國(guó)の『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』を原作としたが、この民族の伝統(tǒng)文化と歴史的條件による影響を受けている。
真女子の登場(chǎng)、傘を借りたり、好感を持ったり、夫婦になったりするなど、『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』とほぼ同じであるが、上田秋成は日本の國(guó)情に合わない部分を、日本の風(fēng)習(xí)に合った場(chǎng)面やストーリーに書き換えて、原文の煩雑な部分を大膽に捨て、その創(chuàng)作の原則を貫いていく。例えば、真女子の登場(chǎng)地は「紀(jì)伊國(guó)の三輪ヶ崎」で、神話や物語の誕生の所である。蛇神の伝説がここに起こっているため、蛇女真女子の出現(xiàn)はとても自然である。もう一つは、真女子が一度だけ贈(zèng)り物をして、贈(zèng)り物を金、衣服などから太刀に変えたことである。太刀は武士を中心にした江戸時(shí)代で著用されている長(zhǎng)い刀で、日本民族の尚武の精神を體現(xiàn)している。このように、ストーリーを簡(jiǎn)略化し、反復(fù)感を避け、日本民族の特色も表れている。根本的に言えば、それは日本獨(dú)自の文化的背景と美意識(shí)によって決まっている。
おわりに
本論文は『蛇性の淫』と『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』の両蛇女のイメージを?qū)澅确治訾工毪长趣摔瑜盲迫毡疚膶W(xué)は中國(guó)文學(xué)を受け入れるとともに、本民族の伝統(tǒng)的な文學(xué)、文化を受け継ぐことを深く理解する。
要するに、『蛇性の淫』と『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』の中における蛇女のイメージの対比を通して、上田秋成が『蛇性の淫』を創(chuàng)作するとき、『白娘子永鎮(zhèn)雷峰塔』の人物や筋などを參考にしていることがわかる。しかし、人物像の配置やデザインの面は日本の伝統(tǒng)的な美意識(shí)と一致しており、『源氏物語』や『道成寺縁起』などの古典文學(xué)の影響も無視できない。作者は他民族の文化を參考にしながら、しかも本民族の文化に根付いた態(tài)度を忘れないため、『蛇性の淫』は日本文學(xué)における優(yōu)秀な作品になっている。中日両國(guó)は文化や美意識(shí)などの違いで、似ているようにみるが実は違っている人物像を生み出しているのである。
參考文獻(xiàn)
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(作者單位:吉林大學(xué)研究生)