摘 要:荘子は中國(guó)古代の道家思想に大きな影響を與え、その思想は老子と合わせて「老荘思想」と稱され、人々に尊敬されている。彼の著作『荘子』の中で、「無(wú)用の用」という概念があり、物事の存在の意義について説明している?!敢灰娨郅肆ⅳ盲皮い胜い瑜Δ艘姢à毪长趣?、実は大きな役割を果たしている」という思想は、現(xiàn)実にも指導(dǎo)的な意味がある。
關(guān)鍵詞:キーワード:荘子;『荘子』;無(wú)用の用;無(wú)の思想;大學(xué)の教育
一、荘子について
(一)荘子の生涯
荘子は、中國(guó)戦國(guó)時(shí)代の宋の蒙(現(xiàn)在の河南省商丘市民権県)に産まれた。老子の思想を継ぎ、道家の思想を発展させたもので、中國(guó)禪仏教の形成など後世への影響が大きい。儒家の思想に反対し、獨(dú)自の形而上學(xué)的世界を開いた。荘子が唱えた「無(wú)為自然·自由·道」の思想は、その後の「道教·道家」の生成発展にも大きな影響を與え、その思想は老子と合わせて「老荘思想」と稱され、後世まで大きな影響を與えた。
(二)『荘子』について
荘子は自身の考え方を、33編の思想書『荘子』にまとめて後世に殘している。內(nèi)編7編、外編15編、雑編11編に分けられており、內(nèi)編は「荘子」自身によってまとめられた。外編、雑編は後の學(xué)者が書き加えたと言われており、內(nèi)編にこそ純粋な「荘子」の思想が詰まっていると考えられている。寓話を數(shù)多く引用し、変幻自在な筆法で、人知の限界を語(yǔ)り、一切をあるがままに受け入れるところに真の自由が成立すると説く。道教では尊んで「南華真経」と呼ぶ。
二、無(wú)用の用
(一)「無(wú)用の用」の出典
「無(wú)用の用」とは「一見役に立っていないように見えることが、実は大きな役割を果たしている」という意味の名言であり、『荘子』に何度も現(xiàn)れ、「逍遙遊篇」「人間世篇」「応帝王」「天地篇」「山木篇」などの篇章に出ている。最も有名なのは「人間世篇」の中で櫟の寓話である。
櫟社というやしろの神木になっている櫟の大木に、匠石は目もくれない。その弟子が尋ねると、「舟を造れば沈むし、棺桶をつくれば腐るし、道具をつくればこわれてしまう。全くとりえのない木だ。使いみちがないからあのように長(zhǎng)壽が保てたのだよ」と匠石は答えた。その夜、夢(mèng)の中に櫟社の大木が現(xiàn)れ、「すべて柤、梨、橘、柚、さては瓜の類にいたるまで、その実が熟するともぎとられて辱めを受ける、しまいには大枝を折られ小枝はひきちぎられる始末だ。なまじっか役に立つために命を苦しめるものなのだ」と告げた。
人間社會(huì)に役に立たないことで、実は長(zhǎng)壽を全うすることができる。人間社會(huì)に有益であったり、能力があるために、捕まえられ、酷使され、殺される恐れもある。
(二)老子の「無(wú)の思想」と荘子の「無(wú)用の用」
老子は「道は一を生ず。一は二を生ず。二は三を生ず。三は萬(wàn)物を生ず」と述べている?!敢弧工稀干瘛埂ⅰ竵枴埂ⅳ蓼郡先褰踏茄预Α柑珮O」を指し、つきつめれば「有」と言うことである。すると「道」は「無(wú)」を指す?!笩o(wú)」こそが宇宙の本體、本源、天地に先立って存在するものである。では、無(wú)が有を生ずるとはどういうことか。老子はこれを「働き」·「機(jī)能」から実証する。例えば、車が動(dòng)くのは車の心棒の入っている空間があってはじめて動(dòng)くというのだ。
荘子は老子の「無(wú)の思想」に強(qiáng)く共鳴していたが、彼はこれに代わって「無(wú)用の用」ということを説く。「用のないところにこそ用がある」と言うのである。役に立たないものは選ばれず使われない、したがって命を全うできる。役に立たなかったからこそ役に立ったのだ、という論である。
(三)「無(wú)用の用」について私的な認(rèn)識(shí)
荘子が生活していた戦國(guó)時(shí)代は政局が慌しく、統(tǒng)治者は権利のため、庶民に暴力を加えている。そこで、義人たちは人々の幸福を求め、統(tǒng)治者と戦ったが、失敗に終わった。荘子は政治の暗黒面を意識(shí)し、自身を保全するために、「有用」な部分を隠し、「無(wú)用」で自分を守っている。物事の是非に拘ると、爭(zhēng)いを招く可能性があるという「無(wú)用」な考えを持ち、荘子は世を忍び、隠居を選んだと思われる。
一方、「無(wú)用」の目的が「有用」であり、「有用」が「無(wú)用」から生まれると考えられる?!笩o(wú)用」は否定的な概念ではなく、包容性と開放性の象徴ではないだろうか?!赣杏谩工先恕─文郡蛘`魔化し、発想を狹く限る恐れがあり、逆に「無(wú)用」は全ての束縛がなく、したがって、無(wú)限の可能性がある。つまり、「無(wú)用」は開放的である。開放性さえあれば、新たな物事--「有用」が生まれるようになる。
三、「無(wú)用の用」を?qū)g際に運(yùn)用すること
前文に述べたことからすると、「無(wú)用の用」は現(xiàn)実の生活にはどんな役があるかと考えてみた。稚拙な論かもしれないが、理にかなっていると思われる。
(一)晝寢は無(wú)駄なのか?
寢ている時(shí)間は何もすることができないため、もったいないと考えがちである。しかし、晝寢は短時(shí)間でも高い休息効果があり、休息後はスッキリと仕事に取り組めるため、効率的に仕事をすることが可能である。
晝寢だけを見ると無(wú)駄な時(shí)間の消費(fèi)に見えますが、午後の仕事まで含めて考えれば役に立っているという事が分かる。無(wú)駄だと思っていたことも、思わぬ効果を生む場(chǎng)合があるだろう。
(二)大學(xué)の勉強(qiáng)は無(wú)駄なのか?
現(xiàn)在の大學(xué)では、「有用」と「無(wú)用」に拘り、「無(wú)用」な授業(yè)や知識(shí)を軽視する學(xué)生大勢(shì)いる?!阁w育の授業(yè)がいらない」「マルクス主義は將來(lái)の就職に意味がない」という苦情が出ている。
しかし、それら「無(wú)用」な授業(yè)は、心を養(yǎng)うことに役立ち、気持ちを慰めることができる。大學(xué)は専門の知識(shí)を?qū)Wぶところだけではなく、精神や人格を育成する総合的な學(xué)校である。単なる「有用」な知識(shí)に拘り、心身健康や道徳を「無(wú)用」とすれば、合格な大學(xué)生と呼べないと思われる。
四.結(jié)論
「無(wú)用の用」という主張は、役に立たない物を肯定し、全面的に物事を分析するという意味がある。荘子は時(shí)代の背景に適応して提出された?!笩o(wú)用の用」は包容性と開放性があり、消極的なファクターを避け、現(xiàn)在の日常生活にも指導(dǎo)的な作用がある。これからは「有用」と「無(wú)用」はどういう循環(huán)か、両者のバランスはどうやって取れるか、これからも更に研究したいと思う。
參考文獻(xiàn)
[1]金谷治『荘子 全4冊(cè)』巖波文庫(kù)
[2]福永光司·興膳宏『荘子 內(nèi)篇』ちくま學(xué)蕓文庫(kù)
[3]『荘子』 三省堂|大辭林 第三版
[4]『老荘思想·斉物論などの思想と名言』http://chugokugo-script.net/rekishi/soushi.html
作者簡(jiǎn)介:
莊園 性別:女 出生年月:1999年8月 籍貫:山東省青島市 學(xué)歷:高中。
(作者單位:北京林業(yè)大學(xué)外語(yǔ)學(xué)院)