■設(shè)計(jì)者 趙春華 奚人華(高陽(yáng)譯)
《茶席》無(wú)染
■設(shè)計(jì)者 趙春華 奚人華(高陽(yáng)譯)
馬祖道一說(shuō):“道不用修,但莫污染。何謂污染?但有生死心,造作趨向,皆是污染。若欲直會(huì)其道,平常心是道。何謂平常心? 無(wú)造作,無(wú)取舍,無(wú)斷常,無(wú)凡無(wú)圣。經(jīng)曰:非凡夫行,非圣賢行,是菩薩行。只如今行住坐臥,應(yīng)機(jī)接物,盡是道?!惫饰宜械牟璧佬扌幸詢艋撵`回歸純真為目標(biāo)。
為了突出今天的主題,我特地選用陳三年的白茶。白茶者,生曬制成,最無(wú)煙火氣。淡而無(wú)味,韻最深長(zhǎng)。非靜心者不能品也。
很多人品茶,只吃其湯,不聞其香。在我看來(lái),聞香和品茶一樣重要。聞香,讓你體驗(yàn)自己的內(nèi)心純凈度到底怎樣?聞香幫助你開(kāi)竅生慧,故增加聞香杯若干只。
請(qǐng)大家在一盞茶中悠然忘卻富貴與貧賤,平等安謐地享用一杯粗老白茶吧。
(原文)馬祖道一(ばそ どういつ)の禪思想では、禪宗で初めて経典や観心(自己を見(jiàn)つめること)によらず、日常生活の中に悟りがある大機(jī)大用の禪を説き:“無(wú)事でいいんだ、何か事もなければそれでいいんだ、平々凡々な生き方それでいいんだ、毎日ご飯が食べられるというのは何とありがたいことなんだ”、というふうに変わっていくわけです。ということは、生活の中に禪が結(jié)びついているということです。
もし直ちにその道を行かんと欲すれば、平常心これ道たり。何をか平常心といわん。造作なく、是非なく、取捨なく、斷(だん)常(じょう)なく、凡なく聖(ひじり)なきなり。(維摩)経に云う、凡夫行に非ず、聖賢行に非ず、これ菩薩行なり、と。ただ如(じょ)今(こん)の行(ぎょう)住(じゅう)坐(ざ)臥(が)、応(おう)機(jī)(き)接(せつ)物(もつ)、盡(ことごと)くこれ道たり。
馬(ば)祖(そ)大師の教えに従い、私は、茶道修業(yè)の目標(biāo)を心の純粋·真正への回帰とします。そして、このようなテーマを際立たせるべく、3年物の白茶を選びました。煙気は最も少なく、淡泊でありながら、味わいの深さを感じさせられるからです。心を靜められない人には、お?jiǎng)幛幛扦胜い瑜猡筏欷蓼护蟆?/p>
お茶を味わうには、“湯”のみならず、その“香り”も嗅いでみるといいでしょう。私には、両者は同等な重要性を持ちます。一緒に自分の心はどの程度、純粋になっているかを確かめてみませんか?まず、このお茶の香りを嗅ぐことから始めましょう。ここに用意しておきました「聞香杯」をお持ちいただきましょう。
貧しさも、豊かさも、この一杯のお茶、白茶を飲まれ、全てを忘れて、心を清くしましょう。