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      三島由紀(jì)夫の作品にみられる哀れと孤獨(dú)

      2016-05-14 15:22:17郜璇
      青春歲月 2016年7期
      關(guān)鍵詞:時(shí)代同性作家

      郜璇

      【要約】本稿は、日本にとどまらず、世界にも名高い作家である三島由紀(jì)夫の短編小説『煙草』を中心に、その作品にみられる哀れと孤獨(dú)について考察したものである。主人公の「私」は普通の中學(xué)生であり、「私」の目を通して思春期の少年の內(nèi)面的な変化をのぞき見(jiàn)る、というかたちで小説が進(jìn)行する。この作品は子どもから大人になる少年期の性のゆらぎを扱った小説である。華族學(xué)校の森で、煙草を吹かしている上級(jí)生を見(jiàn)た文蕓部の「私」は、勧められて初めて煙草を吸う。ラグビー部の部室で、煙草をくれた井村に出會(huì)った折り、勇気を出してまた煙草をねだる。すると上級(jí)生たちは、「私」を井村のお稚児さんだとからかった。井村の、煙にむせた「私」を思いやりを感じた晩、「私」は誇り高い自分を放棄して、自分以外の者になりたいと切に願(yuàn)う。

      【キーワード】三島由紀(jì)夫;「煙草」;哀れ;孤獨(dú)

      一、悲劇化された少年時(shí)代における哀れ

      1、三島の暗い少年時(shí)代

      三島由紀(jì)夫は日本の小説家として、非常に影響力があった。そして、作家のみならず、三島は幅広く活躍し、劇作家、評(píng)論家、政治活動(dòng)家でもあった。1946年、鎌倉(cāng)文庫(kù)の幹部であった川端康成の推薦によって、短編小説『煙草』が雑誌の「人間」に掲載され、これが三島の文壇への足がかりとなった。1949年、長(zhǎng)編小説『仮面の告白』の発表によって、三島は文壇への正式なデビューを果たした。ユニークな視點(diǎn)、唯美的な作風(fēng)が特徴だと言われ、三島由紀(jì)夫は戦後の文學(xué)界において無(wú)視できない星としていまだに輝いている。

      作品『煙草』の冒頭において「あの慌ただしい少年時(shí)代が私にはたのしいもの美しいものとして思ひ返すことができぬ。」「少年時(shí)代の思ひ出は不思議なくらゐ悲劇化されてゐる。なぜ成長(zhǎng)してゆくことが、そして成長(zhǎng)そのものの思ひ出が、悲劇でなければならないのか。私には今もなほ、それがわからない。誰(shuí)にもわかるまい?!工葧欷?。少年時(shí)代の思い出は人によってそれぞれ違うが、たのしいもの美しいものとして思い返すことができる人が必ずいると思われる。しかし、三島は自分の少年時(shí)代を全般的に否定し、その文字に哀れが溢れている。それはなぜだろうか。

      三島由紀(jì)夫は、異常な生育環(huán)境で成長(zhǎng)してきた。生まれてばかりに、祖母の夏子に「二階で赤ん坊を育てるのは危険だ」という口実の下、両親から奪いとられ、自分の部屋で育てられてきた。幼い頃から両親とはなればなれになって祖父母のそばに置かれ、三島の少年時(shí)代は祖父母の絶対的な影響を與えられたと言える。玩具の車や鉄砲などは沒(méi)収され、外での男の子らしい遊びも禁じられたという。そして、遊び相手はおとなしい年上の女子に制限されただけでなく、食事、禮儀作法にも厳しく定められた。少年時(shí)代の體験は後年の三島にとって、小説家および劇作家としての素養(yǎng)に非常に役立ったが、三島個(gè)人の性的趣向と審美眼にも大きな影響を與えたと思われる。今までの三島文學(xué)に関する研究は主に「滅びの美學(xué)」、「死」、「血」などにめぐって行われていたことを通して、三島文學(xué)において人生に対する哀れの気持ちが感じられる。

      2、未知の世界への不安と戦慄

      田中美代子は「死の瞑想と失楽園の予感」で『煙草』について、「彼は一本の煙草によって、未知の世界のにおいを嗅ぎ、出発の不安と戦慄を知る?!工日Z(yǔ)った。主人公の「私」は高校生でありながら、上級(jí)生にむりやりに煙草を一口吸わされた。その一口の煙草によって「私」が不安と戦慄を感じさせられただけでなく、微妙な感情の機(jī)微も感じてきた。

      「家へかへってから私を悔恨が苦しめだした。といふより罪の怖ろしさが。私はまだ自分の指が煙草を持ってゐないかと思ひ慄然とした。しかし椅子におちついて勉強(qiáng)をはじめようとすると、又別な不安が私を急き立てた。指先の煙草の匂ひはあのアラビヤンナイトの、妻に指を切られる男の肉汁の匂ひのやうに、拭っても拭っても消えなかった。この匂ひのためにこれから私は苦しまねばならぬであらう?!谷松扦悉袱幛平袱椁欷皮い毪长趣颏筏皮筏蓼盲啤ⅰ杆健工暇婴皮饬ⅳ盲皮饩婴椁欷胜胜盲皮筏蓼盲?。自分の「罪」が家族にバレたらきっとものすごい罰を受けられるのだろうと思い、いらいらしながら、心配していた。煙草を吸う「罪」と同時(shí)に感じたのは同性の上級(jí)生の「明るくきびきびと乾いた」聲に対する不思議な憧れであった。その聲への特別な気持ちを通して、「私」は自分が同性愛(ài)者ということがかすかに分かってきた。すなわち、一口の煙草によって、「私」は未知の世界へ入ってしまった。その未知の世界において不安と戦慄が満ちた。

      二、他人に理解されない孤獨(dú)

      1、風(fēng)景描寫における孤獨(dú)

      二度もノーベル文學(xué)賞候補(bǔ)者に選ばれた作家三島由紀(jì)夫は安部公房、大岡昇平などと一緒に第二次戦後派作家と言われ、今日になっても多くの読者に愛(ài)読されている。安部が現(xiàn)代人の疎外を超現(xiàn)実的寓話の世界を描くのに対して、三島は近代的知性と伝統(tǒng)的美意識(shí)が融合した獨(dú)自の世界を展開したと言ってよかろう。その伝統(tǒng)的な美意識(shí)は『煙草』における風(fēng)景描寫を通して現(xiàn)れたといえよう。

      學(xué)校でいじめられ、友達(dá)に愛(ài)想を盡かした「私」は、學(xué)校を囲む起伏の多い広い森のなかを散歩するのを好んでいた。その森の中に、時(shí)折「私」を魅した沼水のひそかな営み、落葉が夢(mèng)みるように徐々と漂ってゆく水の面、ふと湖のような美しい晴間を見(jiàn)せる秋の落著きのない空、森の奧できこえた木を伐る音などによって私は理由もなく幸福に感じた。その靜かな森の景色を描くのは美しいものと読者に感じられる一方、その行間に漂っている重い孤獨(dú)も感じられる。

      そして、家族と一緒に街中に行ったとき、明るくて幻のような街に「煙るやうな暗い青一ト色の照明のなかに浮かんでゐる真白な建物であった。私がそれを見(jiàn)た時(shí)、しづかな影が上がって來(lái)て、まるで水に浮んだもののやうに、その建物がゆらゆらと揺れた。」そのきらびやかな街はまさに「私」のいる現(xiàn)実社會(huì)の象徴であろう、そして、そのゆらゆら揺れた暗い建物は「私」自身の象徴であろう。ここの描寫も孤獨(dú)が見(jiàn)られるといえよう。それは誰(shuí)にも助けられない、救いのない、魂に刻み込んだ孤獨(dú)だ。その孤獨(dú)は外界に疎外され、拒否されたことによって生じたものであろう。

      2、友達(dá)および異性への嫌み

      『煙草』の作品全體を読むと、愛(ài)の葛藤の中の悩み、喪失感、思春期の若者たちの胸騒ぎ、苛立ち、不安と孤獨(dú)の気持ちがしみじみと感じられる。

      「少年になるとから、私はまづ友情といふものを信じかねた。友人といふ友人が莫迦ばかりで我慢がならなかった?!埂杆饯嫌堰_(dá)といふ友達(dá)に愛(ài)想を盡かした。彼等のやることの反對(duì)を反對(duì)をとやって行った。」ここに「私」は友達(dá)への嫌みと不信感をすっかり指摘し、友情への軽蔑の気持ちもあらわした。

      そして、上級(jí)生に暴力で強(qiáng)いられ、運(yùn)動(dòng)部へ入れられたときに、「私は黙ったまま又しても上級(jí)生の太いまくり上げた腕をながめた。それから女といふものを、朧ろげながら、大へん醜く聯(lián)想した?!工长长水愋预扦ⅳ肱预丐蜗婴撙蝻L(fēng)刺たっぷりであらわし、「私」の性的趣向を明らかにした。なぜ友人と異性に対する罵詈雑言のバリエーションが盡きないのだろう。それは三島個(gè)人の家庭環(huán)境および成長(zhǎng)経験に関わっているにちがいない。

      3、同性への憧れと拒否された孤獨(dú)

      長(zhǎng)谷川泉は『三島由紀(jì)夫事典』で、『煙草』について、「大人への精神構(gòu)造の変換と、同性愛(ài)が一本の煙草に微妙に象徴されている?!工戎刚筏?。『煙草』において、「私」は同性の上級(jí)生の伊村の聲に対して特別な感情を持ってきた。あの「若々しいきびきびと乾いた聲」に「私」は何度も気にかけ、その聲に「私」は憧れた。そして、伊村に親しくなりたかったというか、伊村の態(tài)度を確かめたかったため、「私」は吸ってはいけない煙草を無(wú)理に吸った。結(jié)局、「私」の気持ちをきっぱり斷るように、伊村はその煙草を押し付けてしまった。拒否された「私」は愕然とし、「その夜眠れない床の中で、私はこの年齢で考へられる限りのことを考へた?!工葧い?。少年時(shí)代の思春期にいる「私」は、同性に対する特別な気持ちを持っているが、誰(shuí)にも相談できず、救われなかった。そして、相手に拒否された孤獨(dú)も自分で味わわなくてはならなかった。

      三、まとめ

      少年時(shí)代の「私」にとって、煙草は禁物でありながら、その禁物に二回も觸れてしまった。三島自身の経験に基づいて分析すると、一本の煙草がさまざまな感情を持ち、その中で三島の人生への哀れ、不安、戦慄および孤獨(dú)が見(jiàn)えた。そして、その気持ちは風(fēng)景描寫、感情表現(xiàn)に託してあらわれ、作品はより豊かになってきた。

      【參考文獻(xiàn)】

      [1] 菅原洋一. 『三島由紀(jì)夫と太宰治:絶望と祈りと』[J]. 立正大學(xué)文學(xué)部論業(yè), 1982(71).

      [2] 大竹口真弓. 『三島由紀(jì)夫「煙草」論』[J]. 二松學(xué)舎大學(xué)人文論業(yè), 2003(70).

      [3] 楊增艷. 『追逐と逃遁』[D]. 上海:華東師範(fàn)大學(xué), 2007.

      [4] 高興蘭. 『三島由紀(jì)夫の死亡美學(xué)』[J]. 外國(guó)語(yǔ)言語(yǔ)文學(xué), 2011(02).

      [5] 杜彬彬. 『三島由紀(jì)夫の美意識(shí)——「仮面の告白」を中心に』[D].杭州: 浙江大學(xué), 2014.

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