【要 旨】「満州事変」の後、日本が中國の東北地方における植民地支配を強(qiáng)化するため、「満州國」を作って、多くの東北民衆(zhòng)に14年の奴隷化教育を行い、特に青少年を重點(diǎn)対象として「教化」した。教科書は學(xué)校教育で最も重要な部分で、日本の目的と野望の「粋」が凝縮されていた。そのために、日本は教科書の編纂に力を入れて、學(xué)校教育を積極的に遂行した。文章は神道に関する文章を中心として、「満州國」?jié)h民族中學(xué)校の「國語」教科書の內(nèi)容を分析した。
【キーワード】教科書;日本;植民地;「満州國」;神道
「満州國」を作った後、日本は東北地方で軍事、政治、経済、文化、娯楽などの分野で、當(dāng)?shù)丐巫∶瘠巳娴膜手朴蛐肖胜盲郡韦撙胜椁?、教育の面で重視し、特に青少年の教育を重要な位置に置いた?/p>
當(dāng)時(shí)、日本は「満州國」を操って、たくさんの植民地教育方針を策定し、実行した。その上、思想上の奴隷化教育を強(qiáng)調(diào)し、中國封建社會(huì)の「王道主義」と日本の「惟神の道」(皇道)を結(jié)合して、東北の青少年に「皇帝陛下」を服従し、日本の天皇を崇拝する思想や、敬神畏天の意識(shí)を伝えた。その目的は、「日満一徳一心」、「國民精神」や「王道楽土」というスローガンを広く宣伝し、青少年を「順民」として育成することであった。
一、「満州國」で実行された學(xué)校教育の概況
日本は「満州國」の政権を育成したばかりに、教育を東北侵略の一つ重要な領(lǐng)域として重視していた。武力だけで東北人民を征服することはできない。教育を行わなければ、東北人民の思想を完全にコントロールできず、植民地支配に障害となる?!笇W(xué)校は教育の中心、其の盛衰は國家の隆替と関わっている。教育の本質(zhì)は人格の陶冶。人格の陶冶には、諸國民意識(shí)の確立を待たさなければならない。」[1]という方針はその証拠である。こういう「國民意識(shí)」は、まさに當(dāng)時(shí)日本が広く宣伝した「國民精神」や「民族協(xié)和」などの思想である。その目的は「忠良なる臣民」育成することである。したがって、戦爭を拡大し、植民地を支配するため、日本は一連の措置を取った。
まずは以下のような奴隷化教育の方針を策定した。
即其已成之設(shè)施,施以相當(dāng)之感化,使王道普及之精神,徐徐灌注于民眾教育及幼年教育之中,則一數(shù)人民威明了于我建國之精神與王道之義,然后一切新的設(shè)施,自易推行矣。所謂新的設(shè)施者何?即實(shí)行王道教育之具體方針是也。我滿洲建國既以王道為極則,則教育方針亦應(yīng)以是為正鵠。[2]
この「王道教育」の本質(zhì)は、民族観念を消すことによって、學(xué)生たちの反抗意識(shí)を弱めることである。そして、具體的な手段を使って教育の効果を強(qiáng)化し、前術(shù)した方針に基づいて、「日満一徳一心」、「王道楽土」を宣伝した。また、教科書を改編し、學(xué)校課程の配置や學(xué)制までも変えた。太平洋戦爭が発動(dòng)した後、更に「勤労奉仕」を提出し、當(dāng)?shù)丐巫∶瘠藰敗─蕜阂郅驈?qiáng)制的に服させられた。學(xué)生たちも免れなく、毎週必ず定時(shí)定量に労役を完成しなければならない。その上、學(xué)校教育の內(nèi)容においては、「建國精神」の習(xí)得を強(qiáng)化した。その基本思想は「日満一徳一心」と「民族協(xié)和」で、本質(zhì)は人々に天照大神を尊敬させ、日本天皇を服従させ、日本の統(tǒng)治を擁護(hù)させることである。こういう「建國精神」は校內(nèi)のあらゆる面に浸透された。例えば、學(xué)生たちは通學(xué)途中で神社を通りかかったら、あるいは校內(nèi)で日本天皇と皇后の寫真を祀った「奉安殿」を見たら、帽子を脫いで敬禮しないといけない。毎日朝禮で「建國體操」をし、放課前は「終禮」で一日中の行為を反省した。その他、入學(xué)日、萬壽節(jié)、建校記念日、訪日宣詔記念日、日本の紀(jì)元節(jié)、明治節(jié)など、いろんな「式日」で典禮を行い、典禮で「建國精神」を繰り返して宣伝し、學(xué)生たちに強(qiáng)制的に覚えさせた。[3]「國語科」という科目の教科書にも、「建國精神」を含む文が少なくない。
このように、國家神道の表現(xiàn)である「建國精神」は、「満州國」學(xué)校での重要な位置づけが明白である。
二、中學(xué)校[國語]教科書の構(gòu)造
「満州國」?jié)h民族の中學(xué)校で使用された「國語」教科書は、普通の知識(shí)を教える他、軍事、政治、時(shí)局、神道などの內(nèi)容も多く含んでいた。統(tǒng)計(jì)によれば、『「満州」植民地日本語教科書集成7』の中に、1935年に使用された初級中學(xué)校の「國語」教科書は上、中、下三冊に分けられる。體裁は完備で、內(nèi)容も豊かであることから、日本は実に植民地教育を重視したことが分かる。具體的な體裁配置と文章內(nèi)容は以下の表1と表2を參照されたい。
表1から見ると、中學(xué)時(shí)期の真ん中にある上冊第二篇と中冊が、六つの體裁が全部揃っていた。中學(xué)校に入ったばかりの學(xué)生たちに使用された上冊には、多くの対話類文章を設(shè)置した。そして、勉強(qiáng)の程度が深かければ深いほど、説明文と敘述文の數(shù)が増えていたことも分かる。
表2から見ると、內(nèi)容の面において、國家観念、時(shí)局體制や神道概念など、戦爭と密に繋がる知識(shí)のある文書は、かなり大きな割合を占めていた。また、こういう文章の數(shù)も、どんどん増えていた。國家概念を含む文章は、上冊の『國旗』、中冊の『國都』、下冊の『建國宣言』などがあって、軍事內(nèi)容を含む文章は、『楠公父子』、『乃木大將』、『観兵式の歌』などがあり、神道に関する文章は『國民精神』、『大詔を拝す』、『體育大會(huì)』などがある。手紙の書き方法を教える文章にも、最後に落款を入れたところで、「忠孝」という名前の例を上げた。[4]つまり、中學(xué)校の「國語」教科書の中で、神道內(nèi)容を普通の知識(shí)の裏に隠して教える文章は、小學(xué)校の文章と比べれば、もっと曖昧なである。一方、正々堂々と神道を教える文章も増えたのである。
三、中學(xué)校日本語教科書での神道內(nèi)容
中學(xué)校の「國語」教科書は小學(xué)校のより、奴隷化程度が深くなるという事実が分かった。これは、受容性に富む中學(xué)生が、理解力が小學(xué)生より強(qiáng)く、頭も小學(xué)生よりはっきりしているからである。こういう対象には、神道の神話や基本知識(shí)を教えるのではなく、神道の精神やその精神を代表するものをまとめて伝えるのである。すなわち、日本は學(xué)生たちに日本語を早く身に付けさせるため、完備な文章體裁で教科書を編纂した。教科書の受け手によって、適切な教科書を使って、段階的に、神道思想を浸透させた。以下は一つ代表的な文章の內(nèi)容である。
建國宣言
満州國建國宣言は、大同元年三月一日、我國曠古の大典たる建國式の當(dāng)日発表されたものであつて、堂々千餘字に亙る痛烈なる大文章である。先ず満蒙の歴史· 富源· 民風(fēng)より説く起し、民國成立以來、軍閥の暴り、政治の腐敗其の極に達(dá)し、人民の苦悩將に死を待つのみの狀況に及んだことを述べ、遂に天命に依り、善隣日本の力を借りて醜類を駆り、積弊を一掃して更始一新の機(jī)會(huì)を得たことを述べ、更に民國國民黨政治の失敗を論じ、其の形勢の趨くままに放任するときは、全く自滅の他なき実情にあることを主張し、進(jìn)で三千萬民衆(zhòng)の餘論は、「満蒙が既に舊時(shí)に於て一國を?yàn)椁筏郡霘s史に鑑み、別に新國家を樹立して其の理想を?qū)g現(xiàn)するに如かず?!工趣谓Y(jié)論に達(dá)したことを述べ、茲に其の総意を以て、斷然民國との関係を脫離して満州國を創(chuàng)立することを宣告してゐる。
次に新國家建設(shè)の大綱たる內(nèi)治外交の主義製作を列挙し、新國家の政府はこれに対する全責(zé)任を負(fù)ふべきことを誓ひ、最後に「天地昭鑑この言を渝するこなし?!工冉Y(jié)んでゐる。
今其の建設(shè)綱要を要約するに、內(nèi)は順天安民を以て政治の大本となし、民意尊重·種族平等·人権保障·法制改善·自治勵(lì)行·人材登用·実業(yè)奨勵(lì)·金融統(tǒng)一·富源開発·匪禍肅清·教育普及·禮教尊崇等あらゆる施政の方策を掲げ、王道善政を?qū)g行して世界政治の模範(fàn)と為さんと結(jié)び、外に対しては、信義尊重·條約厳守·門戸開放·機(jī)會(huì)均等等挙げつ、廣く和親協(xié)調(diào)の精神を宣示してゐる。
かくの如く我建國宣言は実に公明正大にして、天地神明に通する大宣言である。これによつて萬代不易の我満州國の國是定まり、これによつて王道善政が施かれつつあるのである。
爾來三年有餘の今日、我國勢は実に世界史上に類例のない長足の伸展を示し、王道楽土の実験は期して待つべき情勢にあるのである。
して心得ぺき事柄も決して少なくないのであるから、我々は、この建國宣言の精神に基き、一層奮勵(lì)努力して、真に世界に模範(fàn)たる國家を作らなければならない。[5]
國民精神
現(xiàn)代の世界では、どんな民族でも、國家といふまとまつた組織をもたなければ、社會(huì)の文化も進(jìn)まず、日常生活も決して安全でない。學(xué)校を建てて、我等を教育し、官庁·警察·軍隊(duì)其の他、種々の機(jī)関を設(shè)けて、社會(huì)の安寧、秩序を保ち、國民の生命·財(cái)産·名譽(yù)を保護(hù)するのは、全く國家といふ大きな組織の力である。國際競爭の烈しいっ今日、自國の獨(dú)立を完うして行くには、國民全體が一つことになつて國の為に盡くす精神が必要である。之を國民精神を名づける。
世界何れの國家に於ても、それぞれ國柄によつて此の國民精神が長い間に養(yǎng)はれてゐるが、此の精神が特に強(qiáng)く盛なのは日本である。日本は神代の昔から、萬世一系の皇室を中心として一大家族の如く繁栄してゐる國であつて、その君臣の関係は恰も父子の関係のやうである。歴代天皇の大御心は親心にも優(yōu)れつてした萬民を赤子の如く愛撫し給ひ、又國民は天皇を親の如く敬し慕つて、代々忠君愛國の赤誠を盡くしてゐる。而して、此の精神は三千年の昔から今日に至るまで、親から子に、子から孫に、連綿として傳えられ、古來之を大和心又は大和魂と稱へてうゐる。勿論他の諸外國から各時(shí)代に色々な思想が輸入されたが、此の國民精神は少しも傷つけられることなく、益々その強(qiáng)さを増してゐる。日本がよく東西両文化を調(diào)和して驚くべき大発展を遂げつつあるのは、此の比類なき國體を、かく如き國民精神のあるがにめである。
國民精神は國民の活動(dòng)をはげますものであるから、此の精神が剛健であれば國家は栄える。之の反しても國民精神が弱く衰へれば、其の國力が充ちて奮勵(lì)努力する人が立身出世するやうに、國民精神が剛健であれは。國は益々盛になつて國民生活は益々幸福になる。國が盛になるのも、衰へるのも、専ら國民精神が強(qiáng)いか弱いかによつてきまるのである。我が國は建國以來日尚淺く、今日國民として努力すべきことが甚だ多いのであるが、特に國を思ふ強(qiáng)い精神を養(yǎng)ふことは最も大切なことである。我等は世界の進(jìn)運(yùn)と我國の國勢とを知ると共に、益々國を愛し、協(xié)力一致して國家のために盡すことを忘れてはならない。[6]
以上の文の內(nèi)容によって、日本の野望と目的が一目瞭然である。これは単なる神道知識(shí)ではなく、神道知識(shí)を精錬し凝縮したものである。中學(xué)?!竾Z」教科書全三冊にある神道內(nèi)容は、全てこのような抽象的な形で存在していた。神道を直接教えるのではなく、神道知識(shí)を精神的層面に上昇して、日常生活の行動(dòng)準(zhǔn)則として守るべきと強(qiáng)調(diào)した。このような宣伝の効果は、もっと強(qiáng)力的かつ持続的であって、學(xué)生たちに対する危害ももっと巨大的かつ徹底的である。
また、運(yùn)動(dòng)會(huì)を描く文章『體育大會(huì)』に「吾等選手一同は、建國の精神に基づき、競技の大道を遵守し、公明正大なる態(tài)度を以て、各種運(yùn)動(dòng)に臨まんことを誓ふ?!筟7]と書かれているように、「建國精神」や「國民精神」を宣伝する文が、教科書の中では數(shù)えないほど多い。手紙、年賀狀、人を招く広告文などの実用文も多くなった。そして、下冊の教科書には、『回鑾訓(xùn)民詔書』を収録し、表紙の後に付けた。他に、統(tǒng)計(jì)のデータから見ると、時(shí)間の流れによって、教科書に入れたイラストレーションは日本化されたことが分かる。例えば、『日本の年中行事』、『東京から』などの文章は日本の生活習(xí)慣を教えた。文章に付いた寫真も、著物を著る人や日本風(fēng)の座り方、日本風(fēng)の建築が多い。更に、中國と日本の歴史上の名人に関する物語を多く設(shè)置して、その目的は恐らく青少年に手本を示そうとした。『楠公父子』、『孔子』、『貝原益軒』、『近江聖人』などの文章は、名人逸話を教えるように見えるが、実はこういう人物像から「忠義」や「建國精神」を宣伝したのである。
他の文には、「満洲國」と日本の「友好」関係を歴史の源流を捏ち上げた?!笢褐迖工蚊坤筏の磥恧蛎瑜Aけて、若い世代を勵(lì)ました。また「建國」、「國旗」、「國歌」などを何度も紹介し、「満洲國」、「我が國」などの言葉が多數(shù)出てきた。これは、「満洲國」と中國は別々の両國であるという印象を?qū)W生たちの頭に刻むためではないかと考えられる。
四、結(jié)語
以上述べたように、中學(xué)校の「國語」教科書では、時(shí)局教育と軍事教育が多くなり、神道教育が抽象化し、実用性が高いという特徴がある。言い換えれば、「満州國」の中學(xué)校の運(yùn)営目的は、素養(yǎng)や知識(shí)の高い人材を育つのではなく、逆に思想簡単、思考能力の弱い「順民」を育成することである。
日本が中國に実行する教育侵略は決して一日にしてならなく、段階を踏んで一歩一歩進(jìn)めてきた。このように、慎重に編纂された教科書を使って、朝會(huì)、暗誦、歌などいろんな手段を結(jié)合し、學(xué)生たちを「日満一徳一心」「民族協(xié)和」「王道楽土」の錯(cuò)覚に陥させられた。中國の人々の思想を改造し、日本を「親邦」と思い込ませていた。更に、青少年の國家観念を捻じ曲げて、彼らを本當(dāng)の亡國の民に変えようとした。
最近、日本の一部の學(xué)者が、日本の植民地教育が中國教育に與える影響として、客観的な層面から見ると一定のプラスな意義があるという見方を持っている。しかし、これは奴隷化教育の罪を美化する言論である。14年間、大量な人力と物資を投入し東北地區(qū)で実行した教育は、完全なる教育體系を作るのではない。これは元の教育體系の基盤を破壊し、消滅する行為である。これらの証拠を見れば、日本の野望は神道と教育の結(jié)合を通して、侵略を支える理論を?qū)g現(xiàn)し、日本の領(lǐng)土を拡大し、中國を破壊し、更に世界を征服しようとしたことは紛れもない事実であると考えられる。
我々が歴史の真相を披露するのは決して仇を蘇ろうではなく、もっと相手を了解し、両方の共同點(diǎn)を求めることである。「彼を知り己を知れば、百戦危うからず」という諺のように。日本を客観的に扱う若い世代が多くなることによって、中日関係もよくなると考える。
作者簡介:符旖恩(1993.2-),性別:女,民族:漢,籍貫:海南省三亞市,學(xué)歷:碩士在讀,專業(yè):日語語言文學(xué)。
注釋:
[1] 胡慶祝.論偽満時(shí)期日本在東北実行的奴化教育.[D].長春:東北師範(fàn)大學(xué).2006
[2] 武強(qiáng)主編.東北淪陥十四年教育史料(第一輯)[M].吉林教育出版社.1989.P103-104
[3] http://blog.sina.com.cn/s/blog_53f854a50102xfr6.html
[4]竹中憲一編.「満州」植民地日本語教科書集成7[M].緑陰書房.2002.P137
[5]前掲書4.P176
[6]前掲書6.P180
[7]前掲書4.P177
參考文獻(xiàn):
[1]竹中憲一編.「満州」植民地日本語教科書集成[M].緑陰書房.2002年.
[2]村上重良.國家神道[M].巖波書店.1982年.
[3]史桂芳.日本在東北與臺(tái)灣奴化教育之比較研究[C].北京:団結(jié)出版社.2010年.
[4]楊曉.試析東北淪陷時(shí)期偽滿教育方針的殖民文化特征[J].教育科學(xué).2012.28(5).
[5]斎紅深主編.日本對華教育侵略[M].北京:昆侖出版社.2005.
[6]王承禮主編.中國東北淪陷十四年史綱要[M].北京:中國大百科全書出版社.1991年.
[7]王金林.日本神道研究[M].上海:上海辭書出版社.2007.